年賀状のデザインにまつわる悩み(子どもの写真の使用)
年賀状に対する思い
毎年12月になり,ポストの投函口が「年賀状」と「それ以外」に変更される頃になると,今年もその季節がやってきたか,としみじみした気持ちになる。早く準備しなければという焦りもありつつ,それよりは,1年に1度,自分にとって大切な人たちのことを思い,年賀状を通じてその人たちと「再会」を果たし,近況を伝え合う機会が目ぐっきたというわくわくした気持ちの方が勝っているような気もする。
年賀状離れが進んでいるといわれるようになって久しく,現に,年賀状を「卒業」した知人,友人も少なからずいる。その考え方も十分に理解できるところではあるが,自分にとっては,年賀状は,たとえ,それ以外には接点がなくなってしまった人との間でも(あるいは,そのような人だけに),1年に1度,互いを思い,つながっていることを実感できる手段として,他の何ものにも代えがたい存在であり,年齢を重ねるごとに増え続けてきた枚数を絞ることもなかなかできない。
「締め切り」が近くならないとスイッチが入らない
そうであれば,年賀状の準備にも早く着手し,年末にバタバタすることがないようにすればよいのだが,それとこれとは話が別である。
年賀状に限らず,どうも「締め切り」が近くならないとスイッチが入らない。今年こそは,年賀状がされる頃には着手しようと思ったことは何度もあるが,なかなか実行することができない。
年賀状に対する思いが強い分だけ,デザインにこだわったり,必ず1言はメッセージを添えようと思うこともあるのかもしれないが,それも言い訳にすぎないだろう。
夏休みの宿題についても,夏休みに入ったらすぐに着手し,早々に終えてしまうタイプと,8月も終わりに近づいてようやく着手し,夏休みの最後は宿題に追われる毎日になってしまうタイプとがいた。自分は,確実に後者のタイプ,しかも,小学生のころからの筋金入りで,なかなか行動原理を変えることができない。
しょくんの寝ているすきに
今年は,さらにハードルが高まった。育児休業を取得しているから,平日でも準備ができるかと思いきや大間違い。仕事はお休みしているとはいえ,日々,朝から晩まで育児と家事に追われ,自分の時間がほとんど持てない。年賀状の準備という,ある程度,まとまった時間が必要な作業は,相当に気合を入れて,時間を捻出しない限り,着手することすら難しいのだ。
しょうくんの昼寝の時間,そして,夜寝た後の時間に,計画的かつ効率的に作業を進める必要があった。
年賀状のデザインにまつわる悩み
かつては,年賀状用に絵(主として風景画,といっても素人のお絵かきに過ぎないが)を描いていたこともあったが,ここ十数年の裏面(通信面)には,旅行に行ったとき等の写真数枚と数行の近況報告を印刷していた。
今年は,1月にしょうくんが誕生し,40数年の人生の中で間違いなく最多になるだろう写真を撮影してきた。最近のデザインを踏襲するのであれば,選びたい写真は山のようにあった。
が,悩みはまさにそこにあった。
しょうくんの誕生と成長の過程を報告する意味でも,しょうくんの写真は是非とも載せたい,しかし,それが果たして「適切」なのか,という疑問は払拭し難いものだった。
子どもがほしいと思いながら,長年授かることができなかった。その間,友人や知人から,子どもの誕生を,幸せに溢れた写真とともに報告する年賀状を受け取る度,おめでとう!という気持ちと同時に,子どもに恵まれない自分自身を比べて切ない気持ちも湧いてきて,心の底から100%祝福することができないこともあった。
同じような思いや悩みを抱える人に,しょうくんの写真満載の年賀状がどのように映るだろうか,そんなことを考えずにはいられなかったのである。
結局,しょうくんの写った写真多めのパターンとスタジオで家族3人で撮った写真1枚だけのパターンと2パターン作ることにした。
考えすぎの「余計なお世話」なのかもしれないし,それが「正解」なのかもわからない。しかし,少なくとも40代半ば過ぎにして初めて子どもを授かった新米パパとしては,それが最善の選択のように思えた。
なんとか投函を終えて
そんなわけで,デザインにも悩み,例年以上に作業も遅れ,果たして間に合うのか,と危惧していたが,少しずつ作業を進め,通信面,宛名面の印刷をした上,相手のことを思いながら,1枚1枚に一言コメントも書き終えた。少しでも「経由地」を少なくすべく,最寄りの郵便局本局に投函もした。あて先にもよるが,少なくともほとんどは元旦に届くのではないか(と期待している。)。
あとは,投函した年賀状が相手に届き,自分のところにも相手から年賀状が届いて,大切な人との「再開」を果たせるのを楽しみに待つばかりだ。
(^^♪ しょうくん生後11か月 育児休業4か月目